ART-SCHOOL を好きになった時代

 はじめてART-SCHOOLの曲を聴いたのは17歳のときだった。

 そのとき僕は通信制高校に通っていて、平日の昼間は学校から提出されるレポート課題をこなし、週末には「スクーリング」と呼ばれる面談授業に出席していた。レポート課題といえども集中してやれば3時間程度で終わるし、そのあとはひとりで、ただやりたいことをしていればよかったし、在籍していた普通科からドロップアウトしてしまった身としては、それまでつきあっていた友達との関係も薄いものとなっていた。

 

 そのときに聴いていた音楽は主に、海外のオルタナティヴ・ロックだった。スマッシング・パンプキンズ、ソニック・ユース、レディオヘッド......。彼らの音楽を聴くことはその当時はっきりと形を取っていた孤独を振り払うためのものだった。一度スマッシング・パンプキンズの「Today」を大音量でヘドバンしながら聴いていて、あまりに激しく首を振ったものだから顎の関節がずれてしまい、数年間嚙み合わせが通常に復することがなかったこともある。

 日本のミュージシャンでいえばPeople In The Box がいちばんのお気に入りだった。今となっては、ここに挙げたすべてのバンドが、ART-SCHOOLと深い関係にあって、アートに巡り合うのも必然だったのかもしれない。

 

 はじめて聴いたアートの曲は「カノン」だったと思う。

 彼らの作品のほとんどに言えることだが、とてもキャッチーな曲である。コードについては詳しくわからないけれど、メロディ・曲の展開・楽器編成、どれもポップソングの歴史の系譜を辿る、まっすぐと胸に届く、口ずさみやすいものである。初めて聴いたとき、まずその「普遍的な歌の良さ」に虜になってしまった。そして何より、僕はアートでいちばんすばらしいなと思っているところが、「メロディはキャッチーでありながら、詞の世界観は独自のものであり、また作者がその世界に深い思い入れがある」という点だ。

 キャッチーである、ということを例えば「文章を書く」という行為に当てはめると、それは「平明でわかりやすい言葉で語られる」と置き換えることができると思う。

 受け入れられやすい言葉や、すっと胸の内に入ってくるメロディは、作者が提示する物語性をよりわかりやすく相手に伝えることができる。そういったところが、まさにART-SCHOOL の音楽にあると思う。

 

 僕自身は、彼らが提示する曲の世界観に魅力を感じている。特に彼らのキャリア初期に顕著だが、その世界観とは「僕と君だけの世界」だ。大好きな初期の名曲「プール」の歌詞を引用すると、

 

 『 You are the beautiful one いつも硝子みたいな君に溶けてた

    それだけ、それだけさ 』

 

 “君”だけを崇めて、それ以外の世界には何一つ頼るものがない。この静かで、不思議と澄んだ感じのする絶望と、たったひとつだけ希望を託している、純粋無垢な存在。こういったテーマはアートの近年の作品にもみられるものだが、その絶望感を敷衍していき、より大きなものにしていったのは最近のことのような気がする。初期はその絶望感がより個人的で、包み込むというよりは刃物のように切れる。僕は最近の楽曲の中にも大好きなものがたくさんあるけれど、初めてアートにはまったきっかけが初期のものに多かっただけあって、どうしてもそちらに思い入れが強くなってしまう。

 これから一曲一曲、もし目の前にアート好きの友達がいればその良さを伝えていきたいくらいだけど、その中でアートにはまるきっかけをくれた「ミーンストリート」という楽曲についてふれて、この文章を終えようと思う。この曲は2001年発表、バンド結成から一年が経ったころの、まだキャリア最初期のものだ。

 

 「ミーンストリート」はアートの歴史の中でも、少し異質な立ち位置にある作品だと思う。思い切りギターをかき鳴らしたり、ヴォーカルの木下さんが声量ギリギリまで叫んだりということはなく、ベースとドラムがメインの、どちらかといえば簡素な作りの楽曲である。また “君”に縋ってでも救いを求めるような爆発的な感情の発露もない。むしろそこはかとない「やさしさ」の感情が感じられるのだ。そして失ったものがふと思い出されるような色褪せたノスタルジー。

 

 歌詞で描かれる情景もすぐれている。とくにAメロに注目してみてほしい。

 

 『 水色 あのプラットホームを盲目の少女が歩いてる

   罪と罰 嘲笑うヤンキー 音を立てて崩れそう

   逃げないと変われはしないの?作り笑い上手に浮かべて

   うたかた 本当は誰一人 信じれずに生きてきたんだ 』

 

 『 木々の枝 光を壊して その中で子供がはしゃいでる

   心なら 閉ざしたままで 見た空は青く澄んでた 』

(「ミーンストリート」)

 

 この無常観がしずかに伝わってくる情景。魂の中心がどこへとも知れない場所へさまよっているような心理描写。「ミーンストリート」と同じ年に発表された「ステート・オブ・グレース」、「1965」という楽曲でも、抑制されて静かでありながら、その中心にあるものは騒がしい、そういった情景が描かれている。

 サビの歌詞にある、『ベロニカ 雨に打たれて傷ついた君に見とれた』から想像するに、おそらくこの曲の主人公はその雨に打たれている女と関係を持つことになるのかもしれない。そこで鳴っているギターのアルペジオの響きが哀しくて頼り気がないのに、なぜかやさしく、あたたかい感じがするのはどうしてだろう。それがずっと不思議で、でもその謎がこの曲を内側からそっと支えている気がして、初めて聴いたときから今に至るまで大好きな曲である。

 

 

 ART-SCHOOLは不思議な魅力を持ったバンドである。包み込むようでありながら、突き放している。絶望的なんだけど、どこかユーモラスで、からっと澄み渡っている。そのふたつの拮抗する価値観が事なげもなくひとつの歌に収まっているというのは不思議なことだ。

 しかし僕個人としては、木下さんが書く歌詞に「共感する」ということがあまりない。むしろその「物語性」に深い愛着がある。初期から一貫していながら、時代が下るにしたがって形を変え続ける「君と僕」の物語を。